「世界の発火点」台湾を歴史で読み解く2021.9.21

○「世界の発火点」台湾を歴史で読み解く2021.9.21

台湾史をめぐり時間軸も地理も全く異なる複数の歴史観が存在する。「台湾はいつから始まったのか」。一つは台湾が世界の舞台に登場した400年前。もう一つが夏や商などの文明が黄河流域に花開いた1000年前。台湾は中国の一部ではないと考える人々は前者の歴史観を唱える。たとえば民進党蔡英文総統が尊敬し日本に事実上亡命していた独立運動家の史明。一方、台湾の支配権を主張する中国政府は中国で三国志の時代に「夷州」と書かれたり随の時代に「流球国」と書かれたりした古文書持ち出す。台湾の野党・中国国民党(国民党)もその党名が物語るように後者を支持する。台湾で歴史は政治そのものであり歴史解釈によって、政治的立場が示される。

台湾に最初に拠点を置いたのは名付け親のポルトガルではなかった。オランダが中国大陸に面した台南にゼーランディア城を築き、スペインも台湾北部のサンドミンゴ城を作って北部一帯を支配した。

後にオランダがスペインを追い出して台湾の支配者となった。そのオランダを台湾から駆逐したのは日本でもよく知られた鄭成功鄭成功の死後、台湾は清朝の影響下に置かれた。

清朝は台湾はそこまで真剣に経営する気はなかった。文化的に立ち遅れた地=「化外の地」、伝染病が蔓延る地=「瘴癘(しょうれい)の地」などと呼んで台湾を恐れ福建省支部である「府」を置くのみ支配は限定的だった。

明治政府は初の海外出兵を決断。真の狙いは清朝が無関心だった台湾の東半分、あわよくば台湾全体の領有だった。1874年明治政府が多数の軍船送り込んで先住民族との戦闘に勝利したが、清朝の強い反発と欧米各国の不支持もあり台湾領有はならず。

しかし日本の南進は止まらずまもなく琉球王国を廃止して日本に編入。1895年日清戦争の勝利によって日本は念願の台湾領有を果たした。

ここから1945年まで日本統治は半世紀に及んだ。明治政府は当初、台湾領有を悔やんだともいわれる。日本の支配に漢人先住民族らが猛烈に抵抗し手を焼いたからだ。

1898年、児玉源太郎総督の下、ナンバーツーの民政長官に任命された後藤新平は公衆衛生の専門家である自らの知見をもとに上下水道の整備やアヘンの漸次禁止政策など台湾を「健康体」とするべく公衆衛生政策に力を入れた。温暖な気候生かした農業育成のために日本から専門家・新渡戸稲造を呼び寄せるなど産業振興にも努めた。

戦争に敗れた日本はポツダム宣言を受諾し台湾放棄に追い込まれる。台湾を引き継いだのは中国の支配者「中華民国」政府だった。台湾人も「祖国復帰」を大いに喜んだ。中華民国政府(国民党)の腐敗や非効率に怒りを覚えた台湾人たちが抗議の声を上げた途端に、大陸にいた蒋介石はためらわずに弾圧に乗り出す。数千人の死者を出した2.28事件が起きた。

台湾では「一度も中国に行ったことがないのに北京から上海までのすべての駅名を暗記させられた」という。

共産党との内戦で敗色濃厚となった蒋介石は最後の拠点である四川・重慶を捨てた先に逃げ場を考えた。

 


中台分断を象徴するのが台湾海峡中間線。

アメリカの介入を受けても毛沢東は統一を諦めず、台湾が支配する金門、馬祖島へのミサイル攻撃を繰り返し、1958年にはアメリカ空母が台湾海外に6隻も集結する事態となった。中間線は1950年代、アメリカが台湾海峡に設けたもので、事実上中台相互不可侵ラインの役割を果たした。

1970年代は経済建設にも力を入れ、輸出指向型で小回りの利く産業構造をつくりあげた。ニーズの一翼として高い経済成長を成し遂げた。一方で世界最長となる戒厳令を敷き、反共を口実に多くの無実の人々を投獄・処刑する白色テロの恐怖政治で台湾社会をコントロール下に置いて、アメリカ政府がその蛮行を黙認した。反共の協力者、蒋介石が必要だったからだ。過酷な統治が台湾社会から恨みの目を向けられる国民党の「原罪」となって、今日統制を弱める一因になっている。

 


蒋介石の評価は歴代総統の中で常に最下位だ。共産主義から台湾を守った功よりも過酷な統治で多くの人命が奪った罪を、台湾の人々の記憶しているからだ。

80年代末、全く新しいタイプの指導者=李登輝が現れた。台湾生まれで日本教育を受け、京都帝国大学の学部で学んだ。

大陸反攻を前提とする総動員体制を終わらせ、中国で選ばれた議員を多く含んだ国会を全面改選。「中国国家」の中身を少しずつ空洞化させ、実態に即した「台湾にある中華民国」に作り替えていく。「中国人」を育てるための教育歴史教育も台湾中心に置き換えていった。李登輝の歴史的功績は「台湾化と民主化」を無血で進めたことに尽きる。

 


2000年の総統選挙で国民党が分裂し漁夫の利を得た民進党陳水扁が総統に当選し、台湾で初の政権交代が実現した。最大の原因は経済的に対中依存が深まる一方で「自分たちが台湾であって中国ではない」と言う台湾アイデンティティーが着実に浸透していったことだ。繁栄の前提となる中国経済との関係は切ることができない。この矛盾に台湾が本格的に直面し始めたのこの時期からである。

自立を志向する民進党陳水扁総統は中国との対立を選んだが、当時はまだ対中融和論が強かったアメリカから嫌われ、国内の指示も集まらなかった。

その陳水扁を反面教師とした馬英九総統は「繁栄優先」を掲げて中国との関係強化を目指した。中国は多くの台湾優遇策を繰り出し、ブッシュとオバマからも支持された。

2014年台湾の若者たちは9劇の対中接近に不満爆発、立法院(国会)を長期占拠したひまわり学生運動。馬の対中融和路線はあえなく終わりを告げた。

2016年の総統選で民進党が政権復帰となり、蔡英文総統は中国から距離を置く立場をとっている。ただ陳水扁時代のように独立志向をアジテートするような言動は控えて、実務路線で台湾の自立を守っていく姿勢を崩していない。

 


一時は支持率が低迷した蔡英文総統だが、香港のデモをきっかけに世論の対中警戒意識が高まり、2020年高得票で再選。アメリカは一旦緩めた台湾の軍事的連携を強めようとしている。台湾は中国の軍事拡張に台湾を中国の軍事拡張を抑え込むための不沈空母として利用する構えで、新冷戦のとと台湾の戦略的価値を大きく情報上修正されつつある。一方中国は国産空母を台湾海峡に遊弋(ゆうよく)させ相手の対処能力を上回る「飽和攻撃」を仕掛けるに十分な大量のミサイルを体感の福建省に配備している。